ときどきひなぼっこ

庭いじり、料理へたの横好き。日々のあれこれ綴ります。

新しい年!!

新年くらい書いておかねば!

ということで久しぶりの記事です。

 

2016年は私にとっては今だかつてない怒涛のような1年でした。

義母の手術&退院後の同居&同居のための家の改造

ほぼ同時に母の特養退去&入院&死去

その後はお葬式から一連の仏事&諸手続き。。。。

仕事面でも、半年かけての大きな改革

 

お葬式は、不謹慎かもしれませんが、笑い話の連続で。

つぎからつぎへと忙しく、悲しんでいる暇などない、というのは本当でした。

 

弟が海外出張中だったため、準備は主に大阪から駆けつけてくれたお嫁さんと私二人。

お葬式は地域によって色々な風習があるらしく、お嫁さんは大阪の人だし、同じ長野でも私の住んでいる所と実家のあたりでは微妙に違うとのこと。

頼みの綱は葬儀屋さんで、困ったら「葬儀屋さんにきいてみよう!」の連発。

「お客さんの駐車場どうする?」

「葬儀屋さんに聞いてみよう!」

「ご住職のお茶のタイミングは?」

「葬儀屋さんに聞いてみよう!」

みたいな感じでした (笑)

 

しかも父がまた突っ込みどころ満載というか、ある意味達観というか (笑)

お嫁さんと二人で奮闘することになったのも、父が達観しすぎていたせいなのです。

弟が帰国するまで火葬を待とうと言った時も、父は「早いとこ済ませちゃおう」と言い、関心事はお斎に呼ぶ親戚の名簿だけ。お葬式を新年会か何かのように、親戚が集まることを楽しみにしているようでした。

 

「うちの宗派ってなんだっけ?」と聞いても

「さあ?」

えー?!しかたがないので、

「葬儀屋さんに聞いてみよう!」

 

ということで、葬儀屋さんに相談して改めて宗派を決めることになりました。

信心深い方々には信じられないことかもしれませんが。

不信心で罰が当たりそうです。

色々なことを短時間で決めなければならなかったので、しきたりやこだわりがないのはラクでしたが、その分「なんでもいい」すぎて凄くヘンな感じ。

 

弟の帰国を待っていたため、母とお別れする時間が1週間もあり、その間毎日話ができました。お嫁さんとも一緒に準備をして一層仲良くなれたし、母がすべてをお膳立てしてくれたような気がします。

末っ子の次男の嫁だったのに姑の看病、祖父や伯母の看病と、他人の世話ばかりしていた母。自分は早くに認知症になり、いつもニコニコして「ありがとう」しか言わなかった母。思うように介護できなかったので、その間幸せだったのかな、と何度も何度も考えます。

 

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 ↑ 多趣味だった母のちぎり絵

 

「そんなに仕事しなさんな」と良く言っていました。

今年こそ仕事仕事の毎日を見直さなきゃ。

毎年元旦にはそう思いながら、すぐ無理をしてしまう。

本当に今年こそ、趣味の時間も持てる、計画性のある生活を目指したいものです ( 一一;)